
如月も晦日。
古い話で恐縮ざんすが「一」のヒトリゴトを聞いてやっておくんなせー。
時は遡ること60年前、「一」が始めて戴いた「ギャラ」の話でござんす。
日大芸術学部で学んでいたが頭が強くない「一」学業についてゆけず、いきなり現場に出てみようと、タマタマ募集していた吉本興業東京支社
の「吉本ラジオ・テレビ劇団に応募し合格したんでござんす。
男性:M氏、W氏、N氏、後に可也声優として名を成したはせさん冶氏ら7~8名。
女性陣はAYさん、TMさん、GTさん、MYさん等7~8名。
初仕事は、当時の歌謡界の大スター「奈良光枝さんの一代記」。
劇団の名の通り当時はラジオが主、物語も勿論ラジオ。
主役の奈良さんは、潤んだ目と矢張り潤んだ独特な声の持ち主「A・Yさん。」
「一」はそのご主人役。
この初仕事がギャラ第1号。
うろ覚えだが500円か700円。
貧乏学生には有難いキンスだった記憶がある。
このAYさんとオツキアイなんてものではないが、市川の御宅まで何度か送っていったもんだ。
性格的には「一」が80年の人生で出合ったどの方々より、素晴らしい方だった。
現在「一」が活動している「御長寿夫婦キャラ:百B」の顔がチョイタレ目で、何となくAYさんに似ている気がする。
皆皆さん、大体「一」と同年代だったから現在お元気にしておられるか知る由もないが、以前ブログで、「フランキー堺さんの一座」に出演した際一番の美人女優さんKYさんの事を書いたら、現在お付き合いの有る方からメールを頂き、お目には掛かれないがお声だけは電話でオハナシしたことが有るので、もし、吉本ラジオ・テレビ劇団の上記した方々の消息が分かる方がいらしたら、御一報頂きたいと存じます。是非!是非!。
このブログを書いて居たら、矢張り何十年か以前に助監督さんでお世話になったSさんからお便りを頂いた。
ブログ繋がりでこうした方々と連絡取れることは大変な貴重な事で嬉しい事柄であるなー。
有ったSさんから